借金を背負い愛情やメンタルもどん底だった人生から 最速で這い上がる具体的な方法に興味ありませんか?
子どもの頃のトラウマで人生が思い通りにならない 職場の人間関係、子どもとの関係で悩んでいるあなたへ ・・モヤモヤした感情を吐き出すたびに 執着 依存 自己犠牲から解放され 本当にやりたいことを実現できるようになる つらい気持ちを生きる希望に変える しあわせ逆転ライフレッスンをコンセプトにしている稲嶺純子です。
見えない鎧をまとっていた幼少期
青い空、青い海の沖縄に生まれ、何不自由のない生活をしていた幼少期の私。
好奇心旺盛で、冒険が大好き。小さいころの夢は魔法使いになること(笑)
そんな目に見えない世界と空想が大好きな子どもでした。
歌を歌うことが好き、人前で目立つことが大好きな幼少期でしたが、妹弟が生まれると長女ということもあり父も母も厳しく育てられました。
お姉ちゃんだから、しっかりしなさい!
お姉ちゃんだから、これぐらいはできないと!何でできないの!
兄弟の面倒を見るのがお姉ちゃんでしょ!
いつも完璧、先頭で率いることを求められ、そうあるべき!と疑うことを知りませんでした。
小学校、中学校も鎧を被ったいい子ちゃんは続きました。
親の期待にこたえたい、両親に褒められたい。
本当は甘えたいのに甘えてはいけない・・・お姉ちゃんだから・・・
特に父親に関心を持ってほしくて、親の顔色をうかがい、いつもピエロのように自分を隠し人のご機嫌を取ることが得意になって行きました。
今思えば、その時の経験で今の「空気を読む力」を得たのだと思います。
なりたいものとやりたいことは違う
友人たちが大学進学進学をしていく中で私は自分のやりたい仕事を決めていました。
高校時代にアルバイトを始め、たくさんの人と出会う中で自分のやりたい夢を見つけました。
そのころの私の夢はツアーコンダクターになること。
週末の旅番組を見るのが好きだった私。
大きくなったら私も世界を飛び回って旅をしたいと夢見ていました。
その夢をかなえるために旅行関係の専門学校をへて旅行社へ就職。
さぁこれからバリバリ添乗員として活躍するぞ!と張り切るも・・・
やることといえばお客様のご機嫌取りばかり。。。
自分勝手な行動やクレーム対応に疲れ果て、やる気を失って行きました。
私は添乗員をしたかったのではなく、「自分自身が自由に旅をしたい」ということに気付いたのです。
夢と現実とのギャップに人生初の挫折を経験。
自分で決めて進んだ道、後悔はありませんでしたがその先の不安はぬぐい切れませんでした。
その後は事務の仕事につくことができましたが、社員の多い会社となると十人十色。
話の噛み合わない人、リズムが合わない人、言うだけ言って何もやらない人。。。
そんな人達に合わせていくうちにどんどんつらくなり、笑顔はなくなりいつもの自分ではなくなっていました。
人生で一番のどん底
子どもを出産して5年ぐらいたったころに主人と会社を立ち上げ、私はその経理を任される形で勤め始めました。
従業員も相方の先輩や後輩、人に恵まれ、これも相方の人徳だと安心を感じていました。
私も息子の育児をしながら仕事をマイペースで進め、私の実家も近いことからとても充実した生活がこのまま続くと思っていたのですが・・・・
ちょうどリーマンショックの後、事業が傾いていく。
小さな企業はどんどん追い詰められ、手形が切れない、融資が受けられない、従業員への給料が払えない「ないない」が続き仕舞いには消費者金融からの借金、それも結局行き詰まり倒産。
転がり落ちるのはあっという間でした。
取り立ての催促の電話、そして家にまで催促に業者がやってくる。
周りにいた人達も、お金の切れ目が縁の切れ目と言いますが、本当に蜘蛛の子を散らすように去って行き、手のひらを返したように態度が変わって行きました。人間の怖さを垣間見た瞬間でした。
お金の心配から、いつも不安で心の底から笑うことができず、人間不信になり、人の親切心も素直に受け取れない自分がいました。お金がないことで先の見えない不安と恐怖。
いつもいい子ちゃんでいることを強いられていた私はこの失敗から自分を「ダメな人間」「人間失格」「私の人生は終わった」そんな風に思っていました。
なぜ私がこんな目に合わなければいけないのか?と自分を責め、周りの人たちを恨んでいました。
1週間500円で過ごさなければいけないこともありました。
それでも、生きがいだったのは子どもの成長。少年野球を続けいたのでそれだけは絶対に続けさせたいという決意で夫婦で生活費をやりくりしながら、食事の量を減らしたり、実家へ頭を下げては息子の分だけでも・・・と生活費を援助してもらいながらの生活をつづけました。
自分が信じられず、人を信じられず、ただその日を何とか生きていたあの時。
人の目が気になって何もできなかったし何をする気にもなれなかった。
それでも根気強く、私と向き合ってくれた仲間たちの存在が私を変えてくれたのです。
どんなに私に嫌な態度をとっても、嫌なことを言われても、仲間たちは私を見捨てなかった。
時には厳しく、時には優しく、普段通りに接してくれてどんな時でも私を見守っていてくれました。
いつまでも泣いてたってなにも変わらない。変わろうと思わない限りお前は変われない!
仲間の一人が私に言った一言。その一言に目が覚めたのです。
失敗したこと変えられない事実。その事実を受け入れることができなくて、人のせいにしていたのは私。私、何様??目が覚めた瞬間でした。
そこからの私の立ち上がりは早かったです。まずは自分の状況をとことんまで受け入れました。
どん底にいるんだな。。底なら上に上がるしかないでしょ!!
失敗に固執するあまり、周りを俯瞰して見ることができていなかった。
ありのままを受け入れることで、自分自身の気持ちや考えを整理することができたのだと思います。
今では、相方と二人あの時の失敗があって良かったね。。。そんな話をたまにします。
あのままもし挫折なく過ごしていたらどんな人間になっていたんだろう・・・
家族の絆、仲間との信頼関係、お金では買えないものを失ったかもしれない。
人に対する感謝や、ありがたみを忘れた悲しい人間になっていたかもしれない。
この失敗があって本当によかった。
失敗は確かに怖い。それでも何度でもやり直しはできる。
自分を受け入れることで人は変われます。そこに信頼できる環境があればより強く変るんです。
職場の人間関係
会社を閉めることを報告するために関係のあった私の前職場へ相方と挨拶に出向いた時のこと。
たまたまお世話になった上司の方に呼び止められ、産休に入る方の代わりにやってみないか?とお話をいただき、即答でお受けしました。
まるで神様が手助けしてくれたのか?と思うほどタイミングのいいお話。
私が今あるのは、この会社が拾ってくれたおかげでもあるのです。
捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのころです。
生活は安定してきたものの、人数の多い職場での事務職はそれなりに大変で、一番は人間関係。癖の強い人。セクハラまがいの人。話を聞かない人。。。
嚙み合わない意見や別部署との調整。感じていたのはなぜこんなにもコミュニケーションが取れないの?というモヤモヤでした。
私は楽しく仕事をしたいというモットーがあり、挨拶、声掛けをできるだけ全員に行き渡るよう注意してきましたが、それでも苦手な人もいて、その人とのやり取りにその日1日が振り回されて、ため息ばかりの日常に嫌気がさしていました。
年齢的なものもあり、この先ずっと会社勤めも厳しくなると感じた頃。
次の人生を考えるようになっていったときに、自分に一番向いていることはなにか?
と考えたとき、人と接する仕事、私がお金で失敗して苦しんだ時に仲間たちが手を差し伸べてくれたように、見捨てず寄り添ってくれたように、同じように前に進めず苦しんでいる人の助けになれたら・・・
そんな想いでカウンセラーを目指そうと決意しました。
笑顔でいることで、本人も周りの人にも安心が伝わっていく。
一人でも多くの相談者を笑顔にしたい。
私のカウンセリングを受けることで一歩前に踏み出す勇気を持てると信じています。